エッセイの書庫

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女性性の願い

結婚ってなんだろう? って考えてみたことがあります。

私にとってそれは、
「世界や地球や宇宙や人や様々な存在に祝福される嬉しいこと」です。

これからの時代、必ずしも結婚を選択しない幸せも、ますますポピュラーになるのでしょう。

それでも、「結婚っていいな。素敵だな」と思います。
たぶん私は、あふれる祝福に包まれる喜びを味わいたいのですね。

この感じはそのまま、女性性についても感じています。

私にとっての女性性って、
「様々な存在に祝福される喜びに包まれることで輝くもの」。

同時に、
「喜びにあふれて輝きながら、周りの様々な存在を照らすもの」です。

そうであって欲しいな、そうあったら嬉しいな… と思うのです。

本当のこと言うと、「女性性ってよくわからない」とも感じています。
「肉体としての女性的なもの」に、ちょっと確信がないから。

自分の人間としての女性の体験を、
「これでいいのかな? 不十分なんじゃないかな?」って、
長いことあれこれと思っていたから。

初潮からずっとずっと、生理は重くて辛くて歯痒いもの。
結婚はしたけれども、離婚もして。
子供ができたらいいな、と努力したことも実らなかった。

こういう見方をしていた時には、ひとりの女性の経験としては、
なんかちょっと、残念なものに見えてしまったものでした。

ただ、いつの時にも、祝福には包まれていました。
いたと思います。

そうなんですよね、それは確かなのです。たぶん。

心の深いところではいつも、様々な存在が支えてくれていることはわかっていて、
祝福は普通にそこかしこにありました。あった気がする。

人間としての私は、自分を癒す過程で、その祝福を受け取り直してきたのですね。
きっと。

すみません、なんだか、あやふやな言い方になってしまう。

私は、たぶん、もっと自分の女性性を癒したいのだと思います。

どうやら私の中の、魂とかに近い部分の女性性は
「ずっと祝福の中だよ」って安心しているらしいです。

そして、私の中の人間とか肉体に近い部分の女性性は
「幸せって、本当に思えているのかな?」って半信半疑なのです。

ふんわりとあいまいさが漂う、境界線のような場所に立っていて、
全方位からの祝福を、喜びながら、不思議がりながら、受け取っている。

それが、今の私の女性性の状態。
そんな気がしています。

それでも、そんな狭間のような状態でいても、たぶん、
受け取った祝福は、いつの間にか輝きとして照り返している… 気がする。

ほぼ自覚は無くても、「受けとると同時に、与える」っていう循環は、
無意識に自然と自動で、ゆるやかに巡っている… ような気がする。

ものすごい、都合の良い解釈なのかもしれませんが、でも、たぶん。

いつまでも祝福がめぐリゆく世界を想像すると、また少し癒される気がします。

全ての女性性は、愛され祝福され、お花のように喜びに咲き誇っていてほしい。
その喜びのお花が咲くと、周りのみんなもきっと嬉しくなるから。

だから、まずは私が、女性性を愛して祝福したいなぁ。

カーテンを開けて、おひさまに照らされて、お水をあげて、
「大切なあなた。いつも笑っていてね」って、言いたいです。

(2021. 8. 9)

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