エッセイの書庫

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お金と私

「お金って、よくわからない」ずっと、そう感じてきました。

なんとなく「自分のもの」という感覚も薄いです。
そして、「自分を次々と通り過ぎてゆくもの」みたいにも感じます。

でも、いつも「必要な時には助けてくれる」。
私が「自分一人で頑張るから」と虚勢をはっても、最後の最後に「大丈夫?」と様子を見に来てくれる。
「欲しいなら欲しいと言いなさい。好きなことをやって、いつか自立できるようになればいいから」
と手を差し出してくれる。

そうして、結局、日々の生活を心配することなく生きている私は
「果たして、何かを返せているのだろうか? 自立できていると言えるのだろうか?」と
不思議な気持ちで自分に問いかけている。

そんなことを、ずっとずっと、お金との間で繰り返している気がします。

一番の影響は、両親です。
贅沢とか裕福とかいう感じではなかったけれど、生活に困った記憶は無い家庭でした。

学生の頃も、ほぼほぼ、部活だけ楽しんで生きていました。
大学にも行かず、演劇にうつつを抜かしていた時さえも、ほぼバイトもせず、公演チケットも売らず、
お金だけを湯水のように使っていました。

以前結婚していた際も、共働きをした時期もありましたが、私が働かなくても生活できる経済状況でした。

「これからは、女の人も自分で働いて生きていけるようにならなくちゃ」と
幼い頃から母に言われ、そういうものか、そうならねば、という気持ちだけはありました。
けれども、どこでどんな仕事に就いても、長く続けることが苦しくなってしまいます。

何かにのめり込むことは嫌いじゃなかったし、楽しいこともたくさんありました。
でも、労働力として勤め、周囲の人のたくさんの思いに埋もれていると、いつしか
自分のことが何だかわからなくなってしまって、すべて投げ出したくなってしまうのです。

「経済的に自立できない」「生活するためのお金を稼げない」そんな自分をずっと恥じていました。
振り返ると、胸がモヤモヤして苦しくなります。

お金のこと、もっと知ろう!と思って、ビジネスのことを勉強したりもしました。
知識は増えたけど、そういうフォーカスでお仕事してもたいした金額にはならないし、結局苦しくなります。

そのわりに、お金を使うことは、結構、楽しめるのです。
案外、やりたいことのために、いっぱいいっぱいお金を使ってきているのです。
宵越しの金は持たない感じで。

なんだろう? このアンバランスさ。

自分で自分の生活費を稼げないよぉ、そんな自分でいいのかなぁ、と悩みつつ、
こういうことやりたいな、と思うと、ぱぁーっと思い切りよくお金を使っていく自分。

自分で稼いでいないから、自分のものだという感覚が薄いのかもしれません。
貯金してもしても、溜まったままであった試しもありません。
労働という形で勤めに行くことさえ、今ではとうとう「それは嫌」と堂々と言うようになってきました。

結局、私がお金に対して返していることって、
「やりたいこと出来ました。美味しいもの食べられました。楽しい。幸せ。ありがとう。いつもありがとう」
それだけのような気がします。

それは、私の周りで、私を大切に思って支えてくれている人達に対しても同じです。
「本当にありがとう。こうして毎日生活できて、本当に感謝です」と。

こんなので、本当にいいのだろうか、といつも問いかけます。

でも、胸の中に、あったかい、ほっとした、爽やかで清らかな感覚を持っていないと、
「ありがとう」さえも言えなくなってしまうような気がします。

だからせめて、胸の中のあったかいものを、揺らがないように持っていたいです。
自分を責めたりなんてしてないで、「ありがたいな。嬉しいな」と感じていたいです。

出来ないこと、向いていないこと、たくさんたくさんあって、
私は一人で何でも出来て生きている訳ではありません。

自分に出来ることを、心を込めて、幸せに楽しみたい。
それしか、出来ないのかもしれないなと思います。

そしたら、少しでも、お金のこと、わかるようになるでしょうか。

正体のわからない足長おじさんみたいなお金との関係を通して、
柔らかく包むように、自分を癒してゆけたらいいなと思います。

(2021.6.30)

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